「あなたは……」
「この前、自己紹介しただろ?」
「ああ、アーシノ。おはよう、君も遅刻?」
クリスが、すっぽりと頭を覆っていたタオルを手にとって答えた。
「噴水にでも飛び込んだのか?」
笑いながらそう言ってはみたが、クリスが手にしたタオルはまるで干したばかりのよ
うに渇いていた。それに、髪も濡れているようには見えなかった。
不思議に思い、なにか質問をしようとすると、それを遮るようにトルタが笑い声をあ
げた。
「あははは。そんなわけないでしょ?」
渇いた笑い声に、どう返していいかわからずにいると、トルタはクリスに向かって続
ける。
「さ、クリスは先に行ってて。私はちょっとアーシノさんと話すことがあるから」
「話すこと?」
「いいから。場所は一階の第二講義室だから、ここをまっすぐ行ってすぐ左。間違えな
いようにね。ああ、それと……遅刻したことをちゃんと謝ってから講義室に入るのよ」
幼い子どもに言い聞かせるように、トルティニタは早口でまくしたてる。しかしクリ
スは反発もせず、疑問にも思わないように、あきらめにも似た笑みを浮かべた。
「……わかったよ。でも、アーシノはどうするの?」
「俺は……」
クリスと一緒に講義室に行く、という選択も出来ただろうが、トルティニタの異常な
行動に興味をそそられた。
「俺もトルティニタに話したいことがあったんだ。先に行けよ」
「……そっか。わかった、また後でね」
タオルを丁寧にたたんでトルティニタに手渡すと、クリスはそのまま奥へと歩いてい
った。何を話すのか……といった疑問は、彼の頭に浮かばなかったらしい。
残された二人は、微妙な距離をとったまま、しばらく無言で対峙していた。やがて、
最初に語り始めたのはトルティニタだった。
「……クリスになんの用なの?」
「同じ、フォルテール科のクラスメイトに話しかけるのに、用は必要なのか?」
「できれば、私たちにはもう話しかけないでくれない?」
「唐突だな」
「それ以外に話すことはないから」
きつい目をしている。まだ会って二度目だが、いつも彼女はそんな顔をしていた。そ
んな女も数多くいるだろうが、トルティニタは、少し違った。どこかに無理がある。
クリスが花を渡した瞬間、全く違う顔をしていたのを思い出す。普通の女の子のよう
な、といっても良いかもしれなかった。あの時の顔が、彼女の本当の顔ではないんだろ
うか?
「そっちに話すことがなくても、こっちにはあるかもしれない。第一、俺達は同じクラ
スだぞ?」
「私たちに構わないで」
トルティニタは、繰り返した。
「話は終わりね。クリスには私から言っておくから」
「さっき、あいつがタオルで頭を拭いていたのは、なんだったんだ?」
さっさとこの場から離れようとするトルティニタの背後に、そう質問を投げかけたが、
効果はてきめんだった。
「あなたには関係のないことでしょう?」
振り返ったトルティニタは、毅然とした態度で俺の目を覗き込んだ。確かに、美しい。
「なにを隠している? トルティニタ」
「隠していることを、わざわざ教えると思う?」
「三年間、隠し通せるのか? お前に」
半分は、かまをかけたようなものだった。何を隠している? という質問にもし、な
にも、と答えられたなら、それ以上追求することはできなかったかもしれない。しかし
トルティニタは、攻撃的な言葉で威嚇しようとした。必死で隠そうとする意志は伝わっ
てきたが、冷静になりきれていない。
「……できるわよ」
「それにしても、ひとりくらい知ってる奴がいた方が、お前にとっても都合が良いんじ
ゃないか?」
ためらうような間が空き、その隙にもう一言を付け加える。
「特に、同じクラスの友人なんかが、知ってるとな」
「あなたが、クリスの友人?」
「なるかもしれないだろ? 今はまだそうじゃないが」
「お断りするわ」
「ま、お前がそう言うのは自由だな。俺が誰と話そうが、それも俺の自由だがな」
トルティニタの表情が、より一層きつくなる。
「……なぜ、そんなにクリスにこだわるの?」
「知りたいだけだよ。面白そうじゃないか」
「あなたを楽しませるためにしているわけじゃないのよ」
しかしそこまで言って、話す以外に方法がないと悟ったのか、彼女は急に笑顔になり、
言った。
「人に話したら……」
口調も穏やかで、笑顔によく似合っていた。だが……。
「あなたに何をするかわからないわよ?」
「それは怖いな」
本心だった。かろうじて冗談めいた声でそう答えると、トルティニタは囁くように短
く言った。
「クリスは、雨の幻を見ているのよ」。
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